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美しいものは良いもの。

良いものはなぜ良いのか?という問題が最近気になります。
何かを良いとするには理由があるはずです。
その理由は気持ちが良いとか感覚的にとか論理的に自分の持っている理想通りだからだと思うわけです。
しかしその理想はなぜその理想なのかを考えるとわからなくなります。
理由があるはずですが気持ちいいという感覚自体が良いという事に理由なんてあるのでしょうか。
感覚的に気持ちが良いから良いのだでは理由になってないと思うわけです。
気持ち良いというクオリアがなぜ良いのか。
思うに欲求に関係している気もします。その欲求があるのには何らかの理由があります。
生存のためだとすればなぜ生存するのかという問題になり、良いも何もなくなっていくと思うわけです。
良いか悪いかは人間が決めて作り出したものですから元々なにもないただの物理的構造的な世界だったわけです。
この世界の構造になんの意味があるのかはわかりません。ないかもしれませんしあるかもしれません。
だからこの世界の全ての理由の究極はわからないと思うのです。
意識もただの構造体だと考えると我々はそもそもみんな哲学的ゾンビなんじゃないかともメタ認知すると思えてきます。
我々人間はこの世界の全ての構造を知らないから自由に選択ができるように錯覚していると思うのですが、自由とはそもそも存在するのか疑問です。
この世界の全てには構造があり決まった通りに機械的に動くわけです。
自由のように見える構造もあるわけですが、それは構造なのでつまり自由ではないとも言えるわけです。
そもそも構造という概念は本当にただの構造とか機械的物質的なものなのでしょうか。
構造ではなくクオリアとか感覚のみが存在する世界でもクオリアで構成された構造があるので構造体だと言えます。
本当はもっと次元の違う世界なのかもしれません。人間の感じることの出来ないものが本当の現実の世界にはあるはずです。
構造を超えた世界があるかもしれません。

 いいね!メンバー kissy

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