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真善美の問題は、楽しいですね。昔から人を惹きつけてきたのも納得です。

善の問題は、私は出発点として、

道徳:社会的に都合のいい規範(どうでもいい)
善:私の存在理由と一体のなすべきこと(大事なコト)

として切り分けています。
おっしゃられている気持ちの良さについては、考えがとても同じです。道徳や生存と結びつくことが多くて、あてにはならないだろうなって思うのですよ。
そしてここからですが、私は世界が存在する(かもしれない)意味は、世界が存在しないことを確定させないためだと考えています。
そしておっしゃるとおり、自由の問題もここに強い意味を持つと私も思っているのです。
(なので自由と絡めた考えの話を読むことができてとても嬉しいのです!)

個人的な意見となってしまうのですが、私が哲学的ゾンビでないことで、自由に意思の選択をすることによってのみ、世界(の存在)は描写されるのだと考えているからです。
いただいたカキコミの”この世界の全てには構造があり決まった通りに機械的に動くわけです。"に、ただし私の創造的な意志による選択を除く、を付け足したのが私の理解といいますか、みたいな。

そのような創造的な善の一つの現われとして美があり、(頂いたカキコミのニュアンスとは異なるのですが)あるいはそのような創造への意思は世界の内発的な力だと思っていたりします

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